| 国宝 姫路城 (兵庫県姫路市) |
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![]() 奈良の法隆寺とともに1993年12月、日本で初めてユネスコの世界文化遺産に登録されました。 5層7階の華麗な大天守と3つの小天守などから成る連立式天守や白漆喰総塗籠造(しろしっくいそうぬりごめつくり)の白壁などは、 白鷺(はくろ)城とも呼ばれる美しい景観を生み出しています。 |
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| 大手門↑ 姫山の地に初めて砦が築かれたのは1333年、 赤松氏の時代といわれています。 以来、13氏・48代が城主を務め、戦塵にまみれることなく 今日にいたっています。 赤松氏の後、西国統治の重要拠点として羽柴秀吉、池田輝政、 本多忠政が城に夢を託して拡張、いま見られる全容が整ったのは 戦乱の世が落着いた1617年のことです。 |
菱 の 門↑ |
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| 徳川の安泰が確かなものとなった頃、本多忠政が嫡男・忠刻と千姫が のどかに過ごすために築いたのが西の丸↑です。 |
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←化粧櫓 内部は畳を敷いた御殿のような造りで、西の丸長局より男山を拝んだ千姫が、 この櫓を休息所としたので、この櫓を化粧の間、または化粧櫓と呼んでいました。 姫路城にまつわる人物としてすぐに名が上がるのが千姫です。 千姫は慶長二年(1597)四月十一日、二代将軍徳川秀忠とその正室との間に生まれました。 千姫はわずか7歳で、豊臣秀吉の子、秀頼に嫁ぎます。 この結婚は徳川家と豊臣家の結びつきを強めるためのもので秀吉の遺言による 政略結婚であったと言われています。 やがて豊臣家と徳川家の争いが起こり、大阪夏の陣で大阪城は炎上していまいます。 この時、千姫の祖父である家康の計らいで大阪城内に居た千姫は助け出されます。 その後、江戸に帰る途中、桑名城主本多忠政の子・忠刻(ただとき)と 運命的な出会いをすることになります。 一度夫に先立たれた悲しみを持った千姫の気持ちを察し、忠刻の想いを知った家康は、 二人の結婚を認めます。 こうして、本多家が姫路城の城主となり、千姫も姫路城の姫となりました。 やがて千姫と忠刻との間には一男一女が産まれ、二人はとても幸せな時を過ごしていました。 しかし、その幸せも長くは続かなかったのです。 わずか三歳にして、長男の幸千代が病気で亡くなり、さらに忠刻も病に倒れ、 三十一歳という若さで亡くなりました。 夫と息子を亡くした千姫は、その後姫路を離れ、尼となり江戸で 七十歳までひっそりと余生を過ごしました。 |
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| いざ、天守閣へ!! (テレビの時代劇でおなじみの場所) 右手の壁にある鉄砲狭間、矢狭間の数は、 記録では3,125か所といわれています。 現在残っているのは内曲輪のものだけですが、その数は997を数えます。 靴をビニール袋に入れて中へ入ると、すごい広い! 展示物を見ながら上へ、上へと急な階段をのぼります |
にの門↑ 門天井が低く、右へ90度曲がっております 敵を脅かす工夫がなされています にの門へ急ぐ敵を背後から攻撃できるようになっているのです |
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| お城には、桜が似合います。 今頃の時期に、桜に出会えました。 コブクザクラ (子福桜)かなあ?花期は、秋(10月中旬)〜冬、早春 |
ほの門↑ 外曲輪(そとくるわ)まで含めて昔は84の門がありましたが、 現在22の門が残っています。 |
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| 輝政から三代続き、現在の姫路城を築城した 池田家の家紋揚羽蝶(あげはちょう) (こんなかわいい家紋もあったんですね。) |
天守閣の北側に位置する多門長屋の建物。 石垣の曲線が緩やかなカーブを描き、他の城郭にはない独特の造りで、 屋根を支える垂木の落とす影が白壁に映えて美しい。 その名の通り、塩や米を蓄え、戦時の籠城に備えたといわれます |
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| 井郭櫓(いかくやぐら)↑ 備前丸東側にあった上台所への貴重な水を提供していました。 |
扇の勾配↑ 石垣の傾斜面を扇を開いた形に内側に湾曲させているもので、形が美しいだけだなく、 こうすることで石垣を高く積めるだけでなく石垣の内側に含まれる水分や土の圧力で 崩れ易くなるのを防ぐ目的もあるそうです。 また攻め手がよじ登りにくくなるという一石二鳥の効果もあります。 (これほど、美しい曲線美を当時の人たちは、どのようにして、つくったのでしょうね。 もちろん、トラックもクレーンもないんやもんね。 築城から400年余の現在まで当時の姿を残しているのですから 立派としかいいようがないですね) |
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| 西大柱 姫路城を支えているのがこの2本の大柱です。 東西にそれぞれ高さ24.6m、根元直径95cm、末口42cmと大きな柱で、 それぞれ地階から6階の床下まで延びています。 3階で注目したいのが、西の大柱が2本接ぎ合わされていることです。 これは昭和の大改修(姫路城を一度解体し、もう一度組み上げたという大改修) の際、もっとも大変であった作業の一つでした。 そもそも不朽により大柱が姫路城を支えられなってきていたため、 新しい大柱を建てることが最大の課題でした 。しかし、これほど大きな木材が見つからず困り果てた関係者が日本各地を 探し回り、ようやく木曽国有林の樹齢780年の檜と地元 神埼郡笠型神社の樹齢670年の檜を3階で継ぎ合わせて再現したのです。 一方東の大柱は根本の補強だけで、現在も古い柱が使われています。 |
鉄砲↑ 火縄銃を置く棚で、その上にはそれに込める火薬と火縄をカベに吊り下げてありますが、 いざというとき、この高さにある火薬をすばやく取るのは、 なかなか難しいんじゃないかと思うんですが・・・ |
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| 用具掛けと六葉釘隠し↑ 釘隠しとは、柱や釣り束(つりづか)と長押(なげし)が交差した部分に打ち留めた 大きい釘の頭を隠すための化粧金具です。 姫路城内には493個も同じものがあるそうですよ |
長壁(おさかべ)神社・・・天守閣最上階↑ ここの御祭神は、第49代光仁天皇の皇子刑部親王とその王女冨姫の御二柱で、 今から千百五十余年前国司角野氏によって祀られました。 姫路城築城の際一旦城外へ移築されたものの、 神のたたりがあると言われ再び城内へ戻されたそうです。城の守護神として、 また火災、災厄除けに霊験あらたかとして人々の信仰が厚い神社です |
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| 石打ち棚 窓から外を見たり鉄砲を撃つ時などに、外の様子が分かるように人がのる台です |
大天守閣を出ると東小天守、乾小天守、西小天守と渡り櫓で結ばれています。 |
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| 天守閣からの眺めです。↑ まっすぐ、のびている道路の突き当たりがJR姫路駅です |
最上階の大棟両端には阿吽(あうん)一対の大鯱瓦(しゃちがわら)・・ 城郭・楼門などの棟飾りに用いるしゃちほこ形をした瓦・・が飾られています。 ちなみに鯱は頭が虎で背中にトゲのある想像上の獰猛な海魚で 火を防ぐお守りとして棟飾りに使われました。 火の反対の水の代名詞として魚をあげ、魚を城に飾ることで火よけとしました |
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| 天守閣からの眺め | 天守閣より西の丸を望む↑ |
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←お菊井戸 永正年間(およそ500年前)のこと、城主小寺則職(こてらのりもと)の 執権青山鉄山が城の乗っ取りを計画。 これに気づいた忠臣の衣笠元信は、愛妾のお菊を青山家に女中として送り込み、陰謀を暴きます。 しかし、努力のかいもなく、青山一家のクーデターは成功。それでもお菊は青山家に残り、 龍野に逃れた元信に情報を送っていましたが、ついに町坪弾四郎に気づかれてしまい、 それを盾に結婚を迫られます。しかし、お菊はどうしても首を縦に振りません。 腹を立てた弾四郎は家宝の皿10枚のうち1枚を隠し、お菊の不始末として 責め殺して井戸に投げ込みました。 それからというもの毎夜、「1枚、2枚…」と皿を数えるお菊の悲しげな声が 井戸から聞こえるようになったといいます。 その後、元信ら忠臣によって鉄山一味は滅ぼされ、 お菊は「於菊大明神」として十二所神社の境内にあるお菊神社に祭られています |
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| るの門 石垣の間に人一人がやっと通れるほどの折れ曲がって急な石段を付けた門で、 抜け穴のようであり、穴門とも呼ばれます。 |
姫路城の南にある大きな唐破風(上部が丸くなだらかに拡がる屋根)は 日本で最大級のもので、姫路城の繊細で美しい造形にダイナミックさを付加しています。 千鳥破風とは末広がりな三角の形をした屋根の作りで、採光や換気などの 目的でつくられ、中には内室(うちむろ)と呼ばれる小さな部屋が隠されているものもあります。 (三の丸広場より) |
「姫路」の名は、播磨国風土記に出てくる「日女道丘」(ひめじおか)からきています。 姫山の地に初めて砦が築かれたのは1333年、赤松氏の時代といわれています。以来、13氏・48代が城主を務め、戦塵にまみれることなく今日にいたっています。 赤松氏の後、西国統治の重要拠点として羽柴秀吉、池田輝政、本多忠政が城に夢を託して拡張、いま見られる全容が整ったのは戦乱の世が落着いた1617年のことです。 姫路城内の国宝は、大天守(五重六階・地下一階)のみでなく、西小天守(三重三階・地下二階)、乾小天守(三重四階・地下一階)、東小天守(三重三階・地下一階) 、イ・ロ・ハの渡り櫓(各二重二階・地下一階)、ニの渡り櫓(わたりやぐら)(二重櫓門)の全8棟もあり、桃山時代の建築で、昭和26年6月に国宝の指定を受けました。 姫路城は白漆喰で塗り固められた白壁ゆえ、別名白鷺(はくろ)城と呼ばれています 白漆喰 を使っている理由は防火のためです。 城は海抜45.6mの姫山という小山の頂上に建っています。城の中心を成し、シン ボルである天守閣の高さは46.4mで、都合、海抜92mということになります。 姫路城はこの巨大な天守閣だけでなく、大変効果的かつ迷路のような複雑な防御の仕 組みで有名です。 外濠は、現在のJR姫路駅あたりだったそうです。 天守閣までの道のりは、天守閣が見えたり、隠れたりしながら、階段を上ったり、下ったり、門をくぐり、道は曲がりと、 自分がどこにいるのかわからなくなってしまうくらい迷路のようでした。 お城って、どこも同じかと思っていましたが、それぞれに歴史があり、よく見ると城の作り方もそれぞれ特徴があって、興味深かったです。 今回、久しぶりに来て見て、世界遺産になったわけが、わかったような気がします。 広すぎるので、見て回るのに、たっぷり、2時間かかりました。 大人600円
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| 姫路城の周りをぐるりと走るループバス。 1回の料金が大人100円、小人50円のワンコインで…。 (あんまり可愛いので、姫路駅前から乗りましたが、 あっという間に大手門に着いてしまいました) |
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小さな旅
2006.11.13