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総本山・三井寺(園城寺おんじょうじ))

(滋賀県大津市)

天台寺門宗の総本山で、観音堂は西国三十三所霊場、
第14番の札所。通称三井寺、正式名を園城寺という。
壬申の乱に敗れた大友皇子の皇子の大友与多王は父の霊を弔うために
「田園城邑(じょうゆう)」を寄進して寺を創建し、
天武天皇から「園城」という勅額を賜わったことが園城寺の始まりとされています
春の三井寺
2007.4.15
観音堂や観月台、そして右手に琵琶湖、遠くには、大津マリーの高い建物が、一望。 大津そろばん記念碑
大津そろばんは、江戸時代の初め頃から東海道筋にあたる大谷と
追分の間の谷間道の両側に大津絵や縫い針、餅と並んで売られていました。
東海道名所図絵などには大津の代表的な特産品としてあげられているそうです。
その大津算盤を日本で最初に製作したのが、
この地に住む初代の片岡庄兵衛氏だそうです。

↑百体観音堂
桜のはなびらが、ひらひらと舞い落ち、
まるで風とダンスをしているようでした。
今日のわたしのお気に入りに一枚で新緑木漏れ日がいい感じでしょう?
園城寺天狗杉
寺伝によれば樹齢千年を超え、修行僧が一夜のうちに天狗となり
飛び去ったとの伝説から、「天狗杉」と呼ばれています。

春の仁王門
秋の三井寺
2006.9.17
大門(仁王門

室町時代中期の宝徳三年(1451)の建築で、
左右に運慶作の金剛力士像が安置されています。



豊臣秀吉の正室北政所によって再建されたもので、
三井寺境内でもひときわ大きく威容を誇っています。
また本尊弥勒菩薩もここに安置されています。


残念ながら、ご覧のように、ただいま修理中!
せっかくの美しい建物の姿がみることができませんでした。

左甚五郎の龍
三井寺の名称が生まれた霊泉閼伽井の正面には、
有名な左甚五郎作と伝えられる龍の彫刻があります。
むかしこの龍が夜な夜な琵琶湖に出て暴れたために、
困った甚五郎が自ら龍の眼玉に五寸釘を打ち込み静めたと
伝えられています。

閼伽井屋は金堂西側奥に金堂と接して建っています。
この内部には井泉が湧き、
天智・天武・持統天皇の産湯に
使われたことが
三井寺の名前の由来になっていま


中を覗くと、ゴボッゴボッと、いう音が聞こえますが、
水の湧き出る音なんでしょうか?

鐘楼(三井の晩鐘)

近江八景のひとつ
「日本の音風景百選」にも選ばれています。

宇治の平等院、高尾の神護寺とともに日本三銘鐘に数えられています

なかなかいい音がしますよ。

一撞き300円也

弁慶の引き摺り鐘
昔、俵藤太秀郷が三上山の百足退治のお礼に竜宮から
持ち帰った鐘を三井寺に寄進しました。
その後、延暦寺との争いで弁慶が奪って比叡山へ引き摺りあげて
撞いてみたところ、「いのー、いのー」と響きました。
怒った弁慶は、「そんなに三井寺へ帰りたいのか」と
鐘を谷底へ投げ捨ててしまいました。
鐘に残っている傷跡は、そのときのものだとか。





一切経蔵
毛利輝元公の寄進で、慶長七年、山口の国清寺の経蔵を移築した
禅宗経堂です。
室町初期の建築と考えられ、宝形造で桧皮葺き、
外観は柱間三間の三間、屋根は二重となっています。
また内部の一切経を納める八角輪蔵は、千鳥破風のついた珍しいものです。
輪蔵というのは、まわる書架と言う意味で、一切経を納めた図書館。
この輪蔵の形状は珍しいといわれています
唐院四脚門
唐院は円珍が入唐して天安二年(858)に請来した
経巻・法具類を貞観十年(868)に納め、伝法道場としたことに始まります。
三井寺山内で最も重要な建造物の一つ
で、大師堂・潅頂堂などがあります。
貞観年間(859〜877)になって、
智証大師円珍(ちしょうだいしえんちん)和尚が、
園城寺を天台別院として中興されてからは、
東大寺・興福寺・延暦寺と共に「本朝四箇大寺(しかたいじ)」の一つに
数えられ、南都北嶺の一翼を担ってきました。
円珍の死後、円珍門流と慈覚大師円仁門流の対立が激化し
、正暦四年(993)、円珍門下は比叡山を下り一斉に三井寺に入ります。
この時から延暦寺を山門、三井寺を寺門と称し天台宗は二分されました。



三重塔

慶長二年(1597)、豊臣秀吉によって伏見城に移築された大
和の比蘇寺の塔を慶長五年に徳川家康が三井寺に寄進したものです


唐院潅頂堂
大師堂と四脚門にはさまれて建ち、大師堂の拝殿としての
役割を備えています。


不動明王立像(黄不動)は、大師堂の厨子内に安置されています
毘沙門堂
観音堂
西国三十三箇所観音霊場の第十四番礼所として、篤く信仰されています。
本尊は如意輪観音。貞享三年(1686)に火災にあい、
元禄二年に再建された大きな堂です

観月舞台

寺門派と呼ばれる園城寺に対して,比叡山延暦寺は,山門派と呼ばれています。この同じ天台宗に属する両派の確執は,天台教義を巡る五世座主円珍三世座主円仁の争いにはじまり,993年に円珍派が山を降りたことから決定的なものとなりました。

滋賀県大津市園城寺町246
護法善神堂
三井寺の大門を出て、すぐ左側にあります。
鬼子母神を祀っています。鬼子母神は従来人間の児を奪い食する悪鬼でしたが、釈尊がこれを聞き、母神の子を鉢で隠したところ、狂髪・啼哭して悲しみました。釈尊が慈愛を垂れたところ、仏教に帰依し、以後善女神になったといわれています。
新羅善神堂
三井寺が管理していますが、三井寺の境内には、なく、山門からは歩くと20分くらい要し、
大津市役所の裏手、「弘文天皇陵(天智天皇の子の大友皇子)」のすぐ近くです。

うっそうと木々が生い茂る中に忘れ去られたようにして佇んでいますが,中には国宝新羅明神座像が安置されているそうです。
公開されていないので、見ることはできませんでした。
近江には、この三間社流造の古建築が多く伝わっていますが、その中でも最も形の整ったものの一つとして極めて高い評価を受けています
円満院門跡
今から約一千年前、平安時代村上天皇の代三皇子悟円(ごえん)法親王によって
開創された寺院で、長く天台寺門総本山園城寺(三井寺)の中枢に位置しておりましたが、
現在は単立寺院です。
園城寺山門の北側、白壁に囲まれて立つ皇室ゆかりの門跡寺院です。
数年前寺の事業が行き詰まり、競売問題で有名になりましたが、現在は落ち着いているようです。
寺の中の雰囲気が、私には、ちょっと異質な感じがしました。
三井の名庭
滋賀県大津市園城寺町 三井寺山内二王門北

  小さな旅

2006.9.17


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