| 祇園白川の桜 2008.4.8 |
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| 桜の花びらが、散り始め、ひらひらと舞う花吹雪も素敵でしたし、 川面に浮かんだ”花いかだ”も情緒があり、桜の新芽と芽吹きはじめた柳の緑が、調和していました。 満開の時にような、華やかさは、少し欠けますが・・・・ |
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| 京都散策(下京区・東山区) | |
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| ↑長講堂 (ちょうこうどう) 1183年(寿永2)後白河法皇が六条御所内に持仏堂を建立したのが起こり。 法華経を長期間講習する堂としてその名がある。正式名を「法華長講弥陀三昧堂」という。 後白河法皇は「長講堂起請」を起こし、四二ヵ国八九ヵ所に及ぶ多くの所領・荘園を長講堂に寄進した。 これが歴史上有名な長講堂領であり、荘園史上最大の皇室御領であった。 長講堂領は代々持明院統によって相続され、八条院領とならぶ皇室御領の双壁をなした。 本尊の木造阿弥陀如来及両脇侍像と木造後白河法皇御像が国の重要文化財に指定されている 下京区富小路通六条 |
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←上徳寺(寺号は塩竃山) 河原院の創始者である源融は、鴨川の水を引き入れて 池をつくり、陸奥国の塩釜の浦の景観を移し、 毎月30石の海水を難波から運ばせては塩焼をさせて、 その風情を楽しんだといわれていますが、 その塩釜にちなんだ名前なんです。 そして、この上徳寺のある場所の地名が塩竃町なのでした。 徳川家康のむすめ泰誉院とその生母上徳院の菩提を弔うために 創建されたお寺ですが、寺の裏の墓地が窪地になっており、 そのあたりを「ショウガ畠」といって、河原院の池の跡だとか。 世継地蔵は、子授けの祈願で有名です 下京区富小路通五条下る本塩竃町566 |
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←朝日神明宮(あさひしんめいぐう 天照大神を祭神とし、かっては、 南北は五条通から松原通、 東西は河原町通から富小路通に到る広大な社域を有し 、「幸神の森」」(さいのかみのもり)と呼ばれていたそうです。 京都府京都市下京区麸屋町通五条上る下鱗形町 |
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| 聖光寺 筑前国出身の聖光(1162〜1238)は,鎮西上人とも称されました。 上洛して法然(1133〜1212)に会い,浄土宗の教えを継承して建久8(1197)年この地に聖光寺を建立。 同寺墓地には忠臣蔵で有名な大石良雄の実母、義商天野屋利兵衛で知られる安田善右衛門好時の墓地などがあります。 京都府京都市下京区寺町通り綾小路下る中之町584番地の1(寺町の電気屋街の中にあります) |
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| ↑村井兄弟(けいてい)商会のたばこ工場跡(たばこ製造工場発祥之地) ブラブラと狭い道を散策していたら、レンガつくりの古めかしい建物と出会いました。 村井吉兵衛は、日本初の両切り紙巻き煙草を製造し、明治24年(1891)、「サンライス」と名付けて発売。 その後自ら米国に渡って葉を輸入、続いて発売された「ヒーロー」は、5年後に年間生産量日本一を達成する大ヒットとなりました。 同32年この地に米国タバコ会社と合同して 村井兄弟商会を設立し その名声は世界のタバコ商として知られるようになりました。 明治37年 煙草専売法の実施により国営となり 商会の建物は 専売局専売公社の京都工場として使用されました。 現在は、「関西テーラー」という看板がかかっていましたが、 営業はしていなさそうでした。 村井吉兵衛ゆかりの建物として有名なのが、円山公園にある『長楽館』です。 彼が迎賓館として使用していた建物で命名は伊藤博文。 そのほかには、旧村井銀行祇園支店・京都中央信用金庫(旧村井銀行五条支店)や 東京に建てた和風の本邸は、のちに比叡山延暦寺に移築され、現在大書院として残っているそうです。 村井吉兵衛は、その後村井銀行や京都瓦斯などの事業を展開しました。 京都市東山区上新シ町(東山税務署の近く)) |
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小さな旅
2006.10.16