| 秋の高山祭 日本三大美祭(京都の祇園祭・秩父の夜祭り)のひとつです。 (岐阜県高山市) ![]() |
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| 高山祭とは、春の「山王祭(さんのうまつり)」と秋の「八幡祭(はちまんまつり)」、二つの祭をさす総称です。 祭の起源は領国大名金森氏の時代(1585〜1692年)、屋台の起こりは1718年頃にさかのぼります。 このうち、高山を秋の彩りで染める「八幡祭」は、旧高山城下町北半分の氏神様である桜山八幡宮の例祭です。 毎年10月9日・10日になると、安川通りの北側・下町に「八幡祭」だけの11台の屋台が登場。 屋台が町を巡る曳き廻しや布袋台のからくり奉納などの伝統的な祭行事が楽しめます。 |
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国の重要有形民俗文化財である八幡祭の屋台11台が 八幡宮の表参道に曳き揃えられます ピカピカで、とてもきれいですよ。 高山の屋台は別名「腰巻き屋台」とも呼ばれています。 中段に、赤い布がぐるりと張って、腰巻きに似ているからです。 織物がすばらしいのは、やはり京都の山鉾です。 金具がすばらしいのは、高岡の山車だそうです。 が、高山の屋台は、屋台の構造、装飾など全体の調和がとれています。 動く陽明門といわれるほど、動く屋台は優雅にしなり飾り物が 揺れ豪華にみえるそうです。 さらに画期的な構造は、狭い路地のその場で方向転換が 簡単にできるよう「戻し車」が取り付けられていることです。 高山祭のもう一つの魅力を教えてくれるのが、 9日の夕方から始まる宵祭。 それぞれ100個もの提灯を灯した屋台が町を巡り、 伝統の曳き別れ歌「高い山」を歌いながら、各屋台蔵へと帰っていきます。 ゆらゆら揺れる灯りが闇夜に映え、秋の情感をかきたててくれそうです。 |
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←屋台蔵 ひとつが高さ6m幅1.3m厚さ30cmの観音開き扉。 上部が肩すぼまりになった見上げるような土蔵。 実は、屋台を納めるための蔵なのです。 江戸時代大火から守るため順次建てられたそうです。 高山に住んだ大工、左官、黒鍬(土工)鍛冶等工人の 総合技術によって完成したもので、 蔵のなかには、正面上段に祭神がまつられているほか、 屋台・関係古文献・諸道具がおさめられています。 |
| からくり奉納布袋と唐子 八幡宮境内では9日・10日とも1日2回、 布袋台によるからくり奉納が披露されます。 2人の唐子が綾(あや)を渡って布袋に飛び移り、布袋が軍配を一振りする巧妙なからくりが見どころ。 綱さばきによる動きとは思えない、人形たちの演技に魅了されます。 |
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↑唐子が布袋さんに飛び移るところです。 からくり人形を見にきた観光客で超満員の八幡宮境内。 ようやく、見られる場所を見つけて、待つこと20分。 とても、いいお天気で、暑いくらいでした。 布袋さんが、こちらを向いて、うなずいたり、 にこっと笑ったりするたびに、歓声やドッと笑い声がします。 ほんとうに、見事な動きで、操っている人たちは、 どこで、どのようにしているのでしょうね? |
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仁徳天皇の御代(377年頃)、飛騨山中に その後、聖武天皇の御代(8世紀)諸国に八幡信仰が栄え、 |
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| 弥生橋より八幡宮の鳥居を望む | 赤い中橋 近くには高山陣屋があります。 元禄5年に徳川幕府の天領地となって以来 、明治維新までの177年間江戸から派遣された代官や郡代が 飛騨の政治を司っていた所です |
| 古い町並(国選定重要伝統的建造物群保存地区) 上三之町 上一之町、上二之町、上三之町の3つの町筋からなる古い町並みは、 出格子(でんごし)と呼ばれる独特の格子窓が美しい町屋が整然と並び、最もにぎわう観光スポットです。 江戸時代から続く酒蔵や匠の店などが当時の面影を忍ばせ、和雑貨の店や骨董店めぐりなど見るだけでも楽しめます。 |
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| 高山の町はいたる所に秋葉様が祀ってあります。 正しくは火之迦具土大神を祭神とする秋葉神社なのですが、 親しみと尊崇の気持ちから秋葉様と呼ぶなわしになっています。 これは高山の町ができて以来、度重なる大火に遇ったため、 火災への畏怖が火伏神としての秋葉信仰となって 祭祀の輪が広がっていったようです。 |
←屋根の上に神棚が祀ってあるのを、発見! めずらしいですよねえ。 |
| 「高山」の地名は、永正年間(1504〜21)守護代多賀氏の一族高山外記が天神山に城砦を築き、近江の多賀天神を祀り、 祀山を天神山・多賀山と称したことから多賀山に由来するともいわれています。 高山は天正13年金森長近が豊臣秀吉の命により、飛騨を平定し天神山に再び城を築いてから城下町として発展しました。 長近は、京都に習って市街地を碁盤目状に作り、東山に寺を集め、侍屋敷・職人町を作り、 現在の町の原形をつくり、三代目の金森重頼は文化面でも秀でていて「宗和」と称し茶の湯にも通じていました。 宗和流という茶道が伝わっている程です。 伝統工芸品に指定された飛騨春慶の発祥は、16世紀の初頭。宮大工の棟梁・高橋喜左衛門が献上した盆に、 茶道宗和流の祖・金森宗和が漆工の成田三右衛門に漆を塗らせたことに端を発します 19世紀の半ば、全国から招かれた陶工たちの熱意が完成させた渋草焼は、九谷調の「飛騨赤絵」が高い評価を受け、 さまざまな陶器・磁器が創作されています。 そして江戸時代に始まり、明治・大正に栄えた生活になじんだ素朴な風合いの山田焼。 また一時衰退もあったが復興した飛騨で最古の歴史を誇る小糸焼など、飛騨高山の焼物は個性と歴史を携えた名品ぞろいです。 遠く鎌倉時代に端を発する「山中(さんちゅう)和紙」に代表される飛騨・高山の紙の文化は、今なお、この地ならではの手作りの技を伝承。 「紙人形」「飛騨一閑張」などの紙製品は美術民芸品として多くの人々に愛され続けています。 一位一刀彫・・・一位はその昔天皇即位の節、笏木として飛騨の分水嶺位山に産する一位材にて制作し献上したところ あまりに木目の美しさに正一位の名を賜ったと云われ、今でも天皇即位、伊勢神宮の式典遷宮の際に用いられている木材の中で 最高の栄位を賜った一位は、その後学名も一位となり銘木中の銘木の所以であります。 一位一刀彫の創始は、19世紀に江戸で活躍した高山出身の根付彫刻師・平田亮朝(すけとも)に師事した 松田亮長(すけなが)が一位の材を用いて、ノミだけで彫り上げる刀法で、彩色のない、刀跡を鋭くする彫り物を編み出したことに始まりまた。 |
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| 崇教真光(「世界救世教」「大本教」の影響をうけた宗教)総本山 丹波哲郎の映画”大霊界”の撮影もおこなわれたとか。 |
飛騨民俗村・飛騨の里近くより 雪景色の穂高連峰を望む |
今回は、朝7時出発の日帰りバスツアーに参加しました。(5980円昼食付き) 名神一ノ宮から東海北陸自動車道(全線開通はまだです)を通り、飛騨清見インターから 中部縦貫自動車道高山西インターで、下りました。11時には、高山市内で昼食、12時過ぎ各自自由に高山祭りを見学。 2時前には、市役所前で、シャトルバスに乗り、上記の崇教真光の駐車場へ(バスの駐車場になっているため)。 道路もほとんど高速道路なので、乗っていても揺れもなく、目的地まで連れて行ってもらえるので、楽ですが、 時間制約があり、結局祭り見物ができたのは、2時間弱でした。(ああ、慌しかったわ) でも、秋晴れのさわやかな一日でした。 |
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小さな旅
2006.10.10